仏道とは心に向かうことです。


心はもっと大切に扱わなければならないのです。
それには教える事と寄り添う事の二つが大事です。

心が活発な時は道を踏み外して迷子にならないように、行くべき方向を教えて成長させなければなりません。
まるで我が子を育てるように「心を善く成長させるには常に注意して善き栄養を与え続けなければならない。」

心が沈んでいる時は心が病に落ち込まないように付きっ切りで看てあげなければなりません。
あたかも傷ついた伴侶を看病するように「心をいたわるには寄り添って見守らなければならない。」

「心を善く成長させるには常に注意して善き栄養を与え続けなければならない。」とは、善くない事を善い事と覚えたり、善い事をつまらない事だと覚えることが無いように、また、真実でないことを真実と覚えたり、真実を真実でないと覚えることが無いように、常に善い事、真実を栄養としてあたえ続けること。そして善くない事、真実でないことには、そうではないそうではない、と教え続けることです。

「心をいたわるには寄り添って見守らなければならない。」とは、沈み、病におちた心から離れることなく、それは不安である、それは焦りである、それは後悔である、それは怨みである、それは怒りである、それは妬みである、それは悲しみである、と沸き起こる想いを観てやり、その想いが悪しき思考に転がり落ちることを防がなければなりません。また、その想いを無視して放り出し、何か気を紛らわせる物や、音や、味や、酒など刺激に耽って看病の辛さを紛らわせることに夢中になり、患者を一人にさせないことです。

活発な心に善き栄養を与え、傷ついた心には寄り添って観てあげる。
実はこれがお釈迦様の説かれた仏教なのです。それが経であり、念であり、修であり、坐禅であり、瞑想であり、行なのです。そうやって生きることが仏道とも言えます。
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