日本の仏教って、仏教で無い様で、ある意味ちゃんと仏教なのは何故かとつらつら考えてみると、当たり前ながら祖師方のおかげですという事に

なぜ今の日本に少なからず仏教があるのか?
なぜ宗派仏教の中に微かに輝く仏教伝来のものを見つける事が出来るのか?

それはなぜでしょうか?
経典が間違わずに正確に伝えられてきたからかでしょうか?
僧団として仏陀の教えと戒律とを守り続けたからかでしょうか?
仏教教義が一点の綻びもなく完璧だったからかでしょうか?
異なる教義が争わず力を合わせてきたからかでしょうか?

そのどれもが日本で仏教が存続する理由に当てはまりません。
その中から答えを見つけ出そうとすれば宗教学の範疇になってしまうでしょう。

しかし仏教徒であれば答えは簡単です。
因果だからです。

辺境の東の果て日本で最初に仏教という最新学問が輸入してからというもの、様々な時代に多様な人々が仏教転伝の因縁を作り続けてきたからです。


経典が確かでなくても、修行が様々でも、教義が要請により展開しようと、祖師方の仏法を求め、悟りを求める事が純粋な求道行為であったが故にそれを因として、縁が作られてきたのでしょう。
それは「法に異法無し」だからです、「悟りは不二」だからです。
それゆえ仏教は続いてきたと言うしかありません。
逆に言えば求法と証悟が無くなれば、日本の仏教は消え去るでしょう。

今の日本において仏教の衰退を慮り場違いな方策を繰り返していても無意味です、それは今も表現上に見られる違った宗教に本格的に転換していくだけでしょう。
また現状の仏教文化の上に根本仏教のみを唱えても破綻があるだけでしょう、日本伝統仏教と原始仏教の共存等と言う二つに分けた考えで一つは求められません。
何故ならば、それらの行為は外に向っての働きかけであって、求道者自らの菩提心では無いからです。
外観や儀式や評価や比較はどうでもいいのです、自らが法を求めて仏道を歩むより他に仏教を伝える事は出来ません。
修証の因果であり仏法転伝の因縁です、それが法燈の存続です。

幸いに今の私たちには祖師方が残された語録、経典があります。西洋経由で入ってきたパーリー経典も目にする事ができます。
変わらぬ仏陀が御座します。
普遍の法が今此処に有ります。
そして少なからず道を行く僧がいます。
私はそのような三宝に帰依し奉ります。
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