今日も嫌だ!と思いました、でも、誰のせい?自分のせいじゃありませんか?と考えてみました。

「嫌なものは嫌です!」

 「だけどね、これは、こういうもので、こういうところもあって、こういうふうに思う人もいるんだから・・・」

 「だけど、私は嫌です!」

 こうなると我儘で何を言っても考えを変えない頑固な人だと思いますよね。
でも、これが当たり前なんです、みんな残らずこういうタイプなんです。

 喩えで蛇を見たときの場合のことを説明します。

 実は蛇を認識する前に「嫌だ!」となってしまうんです。

 順序だてて言うと、

まず、物+眼+最初一瞬の認識(長いもの+地面の上+くねっとなってる)=嫌だ~!と感受を受けます。

 次に、嫌だ+記憶の中の細長い物達=蛇だ~!と想念(具象化)します。

 そして、蛇だ→記憶の中の蛇たち→襲われたらどうしよう→逃げるか戦うか、なんて自慢しようかな?等々しばらく妄想は飽きませんね(笑)

 アビダンマ(論)では、この嫌と思う心が生まれるのは過去の自分の不善心のせいになるのです。
 この嫌と思った心は不善異熟心で、不善心より生まれる心なのです。
 過去の善心で生まれた善異熟心ならば、最初にラッキー!と思うかもしれません。
 今、嫌な思いをするか善い思いをするかは、過去に自分が作った不善・善どの心の影響が出てくるかだけなのです。

 ちょっとしたことで腹が立ったり嫌がったり、これ全部自分で溜めに溜めた不善心のマグマがちょっと出てきているだけで人のせいではありません。

 逆に言えば過去のゴミ出しみたいなもんだから、「仕方ないね、でもゴミ減るからいいか」
という具合に気にしなければ、不善心負債が減ってくかもしれません(笑)。
 ここで、さらに不快になっていれば不善心借金の上積ですね、さらに嫌なことが増えるでしょう。

 ということで、蛇に遭ってしまったのは、自分の行動、場所、時刻、気候、その他諸々の条件が重なっただけで、過去の自分の悪業だけではありません。
 どう感受したかが自分の過去の行いの結果です。
 そして、どうそれに反応したかで未来に影響を及ぼすのです。 

恐ろしいシーケンスですね、逃げることの出来ない一瞬一瞬のトラップです。
だから、修行者は一瞬一瞬気を抜くなとしつこく言われるのですね。

結果として「嫌だ!」は、人のせいではなく、自分の撒いた種が芽を出しただけということです、あしからず。

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