八句回向 

施餓鬼に読みます曹洞宗の「甘露門」や、臨済宗で読まれる「開甘露門」の回向偈です。

八句回向
以此修行衆善根 報答父母劬労徳 存者福楽寿無窮 亡者離苦生安養
四恩三有諸含識 三途八難苦衆生 俱蒙悔過洗瑕疵 尽出輪廻生浄土

この皆の修行の善業をもって、父母苦労の徳に報います
生きている者が幸福で長寿でありますように
亡き者が苦しみから離れ安らかなところに生まれますように
四恩を受けているもの、三有のすべての心ある生命、三悪道に住むもの、八難の苦しみにある衆生、
共に懺悔して傷を洗い流し、みな輪廻を脱して浄土に生まれますように(苦しみの無い安楽の境地に到りますように)

出典不明のようですが、功徳力の因果と禅浄一致の思想が混じって当時を思わせる味わいのあるものですね。





スポンサーサイト

大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼メモ

大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼
お葬式の各節目や施餓鬼の時に唱える陀羅尼です。
真言陀羅尼 坂内龍雄著 平河出版  と U-Tube から書き出しましたのでメモしておきます。

根本陀羅尼品第二

根本陀羅尼(mūli dhāraṇi)
Namah sarva tathāgatānām, Oṃ vipula-garabhe, maṇi-prabhe, tathāgata-nidars'ane, maṇi maṇi suprabhe vimale sāgara-gambhīre, hūm hūm, jvale jvale, buddha vilokite guhya-adhisṭhita garabhe svāhā.

一切如来に稽首帰命し奉る、おお、広博蔵に、宝珠光に、如来の教示に、宝珠よ、宝珠よ、
妙光よ、無垢に、海の如き深妙に、フーン、フーン。放光よ。放光よ、諸仏の観照に、秘密加持蔵に、めでたし。

心及随心陀羅尼品第三

心陀羅尼(hrd dhāraṇi)
Oṃ mani-vajre hūm.
おお、宝珠金剛尊よ、フーン。

随心陀羅尼(utpala dhāraṇi)
Om mani dhare hūm phat.
おお、宝珠(智慧)を持つ尊よ、大力もて魔障摧破したまえ。

正法眼蔵 生死

正法眼蔵生死は、いつも曹洞宗専門僧堂『御誕生寺』の日曜参禅会で坐禅の最後に読んでいました。禅師様のチョイスですね。
禅僧というのは正月に遺偈を書く習わしだそうですが、まあ下手に語をひねくり回すより道元禅師のお言葉を噛締める方が良かろうかと思い挙げてみました。
正しい意図や意味を理解することができなくても、なにか心に浮かび上がるものがあればそれはそれでよいのではないか思います。
そうすれば正しい意味に囚われることなく、読むたびに一期一会の心が生まれることがわかりますので、つまるところ今の自分に親しくなることに繋がると思います。

正法眼蔵 生死

生死の中に佛あれば、生死なし。またいはく、生死の中に佛なければ、生死にまどはず。

こころは夾山定山といはれし、ふたりの禅師のことばなり、得道の 人のことばなれば、さだめてむなしくまうけじ。

生死をはなれんとおもはむ人、まさにこの旨むねをあきらむべし。

もし人生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし、いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなヘり。

ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死として いとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし、このとき、はじめて生死をはなるる分あり。

生より死にうつると こころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきありのちあり、かるがゆへに、佛法のなかには、生すなはち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。生というときには生よりほかにものなく、滅といふときは滅のほかにものなし、かるがゆへに、生きたらばただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひて、つかふべしといふことなかれ、ねがふことなかれ。この生死は、すなはち佛の御いのちなり、これをいとひすてんとすれば、すなはち佛の御いのちをうしなはんとするなり。

これにとどまりて、生死に著すれば、これも佛の御いのちをうしなふなり、佛のありさまをとどむるなり。いとうことなく、したふことなき、このとき、はじめて佛のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ、ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをも、つひやさずして、生死をはなれ佛となる、たれの人かこころにとどこほるべき。

 佛となるにいとやすきみちあり、もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、かみをうやまひ、しもをあはれみ、よろづをいとうこころなく、ねがふこころなくて、心におもうことなくうれふることなき、これを佛となづく、またほかにたづぬることなかれ。

正法眼藏生死 年號不記







地方僧堂の朝粥行鉢作法を思い出してみた

地方僧堂行鉢作法  (拙僧安居当時の御誕生寺朝粥行鉢の作法です)

典座維那合掌問訊して槌砧の袱紗を去って左の腕に挂ける。
合掌問訊して打槌一下する(展鉢槌)

□ 展鉢
大衆合掌して「聞槌の偈」及び「展鉢の偈」を唱える。
佛生迦毘羅 成道摩掲陀 説法波羅奈 入滅句拘羅
如来應量器 我今得敷展 願共一切衆 等三輪空寂

大衆合掌低頭し袱紗を開き展鉢する。

典座維那、大衆展鉢終わるのを見て一下し
仰惟三寶咸賜印知仰憑尊衆念

典座維那打槌一下し大衆と「十佛名」を唱える。
清浄法身毘盧舎那仏 円満報身盧遮那仏 千百億化身釈迦牟尼仏 当来下生弥勒尊仏十方三世一切諸仏 大乗妙法蓮華経 大聖文殊師利菩薩 大乗普賢菩薩 
大悲観世音菩薩 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜


典座維那打槌一下し「施食の偈」を唱える。
粥有十利 饒益安人 果報無邊 究竟常楽

□ 行食・受食
行食終わって典座維那遍槌一下し大衆と「五観の偈」を唱える。
一計功多少量彼来處 二忖己徳行全缺應供 三防心離過貪等爲宗 
四正事良薬爲療形枯 五爲成道故今受此食


□ 擎鉢
次に両手を以って頭鉢を擎げ偈を唱える
上分三寶 中分四恩 下及六道 皆同供養 一口爲断一切惡 二口爲修一切善 
三口爲度諸衆生 皆共成佛道

擎鉢の偈が終わったならば頭鉢を下に置かず、低頭の後直ちに喫食する。

典座維那、大衆が食べ終わるのを見て「再進」を喝する。

典座維那、大衆が喫し終わって匙筯を置くを見て「香湯」「浄水」を喝する。

□ 洗鉢

□ 折水
典座維那大衆が洗鉢終わるを見て「折水」を喝する。

□ 収鉢
□ 浄布

典座維那浄布終わって槌砧の袱紗左腕に挂け合掌問訊し、打槌一下(下堂槌)
處世界如虚空 如蓮華不著水 心淸淨超於彼 稽首禮無上尊
大衆合掌して聞き戒尺二声で応量器を擎げ低頭する。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。