「佛垂般涅槃略説教誡經」またの名を「 佛遺教經」の漢文です

「佛垂般涅槃略説教誡經 」またの名を「佛遺教經」
お釈迦様の最後の説法ともいわれるお経です。アーナンダ様に語られたお釈迦様の言葉、アヌルッダ長老の言葉、またアーナンダ長老の言葉、また増支部経典のアヌルッダ経、ダンマパタ(法句経)の言葉、盛りだくさんでしかも平易な言葉で綴られています。道元禅師最後の正法眼蔵「八大人覺」でも云われています。でも、ここではあまり人気のない漢文を挙げてみますね。


たしか以前、駒沢大学か総持寺のデータベースから見れた様な覚えがあるんですが、とりあえず大正新脩大藏經テキストデータベースより参考にしました。

佛垂般涅槃略説教誡經 亦名 佛遺教經
後秦龜茲國三藏鳩摩羅什
釋迦牟尼佛、初轉法輪、度阿若憍陳如、最後説法度須跋陀羅。所應度者皆已度訖、於娑羅雙樹間將入涅槃。是時中夜寂然無聲、爲諸弟子略説法要。

汝等比丘、於我滅後、當尊重珍敬波羅提木叉、如闇遇明貧人得寶。當知此則是汝大師。若我住世無異此也。持淨戒者、不得販賣貿易、安置田宅、畜養人民奴婢畜生。一切種殖及諸財寶、皆當遠離如避火坑。不得斬伐草木墾土掘地、合和湯藥占相吉凶、仰觀星宿、推歩盈虚暦數算計。皆所不應。節身時食清淨自活。不得參預世事通致使命、呪術仙藥、結好貴人親厚媟嫚、皆不應作。當自端心正念求度。不得苞藏瑕疵、顯異惑衆。於四供養知量知足。趣得供事不應稸積。此則略説持戒之相。戒是正順解脱之本。故名波羅提木叉。依因此戒、得生諸禪定及滅苦智慧。是故比丘、當持淨戒、勿令毀犯。若人能持淨戒、是則能有善法。若無淨戒、諸善功徳皆不得生。是以當知。戒爲第一安隱功徳之所住處。

汝等比丘、已能住戒、當制五根、勿令放逸入於五欲。譬如牧牛之人執杖、視之、不令縱逸犯人苗稼。若縱五根、非唯五欲將無崖畔不可制也。亦如惡馬不以轡制、將當牽人墜於坑陷。如被劫害苦止一世。五根賊禍殃及累世。爲害甚重。不可不愼。是故智者制而不隨。持之如賊不令縱逸。假令縱之、皆亦不久見其磨滅。此五根者心爲其主。是故汝等當好制心。心之可畏甚於毒蛇惡獸怨賊、大火越逸未足喩也。動轉輕躁但觀於蜜不見深坑。譬如狂象無鈎、猿猴得樹騰躍跳躑、難可禁制。當急挫之無令放逸。縱此心者喪人善事。制之一處無事不辦。是故比丘。當勤精進、折伏其心。

汝等比丘、受諸飮食、當如服藥。於好於惡勿生増減。趣得支身以除飢渇。如蜂採花但取、其味不損色香。比丘亦爾。受人供養取自除惱。無得多求壞其善心。譬如智者籌量牛力所堪多少、不令過分以竭其力。

汝等比丘、晝則勤心修習善法、無令失時。初夜後夜亦勿有廢。中夜誦經以自消息。無以睡眠因縁令一生空過無所得也。當念無常之火燒諸世間、早求自度勿睡眠也。諸煩惱賊、常伺殺人甚於怨家。安可睡眠不自驚寤。煩惱毒蛇睡在汝心。譬如黒蚖在汝室睡。當以持戒之鉤早除之。睡蛇既出乃可安睡、不出而眠是無慚人也。慚恥之服、於諸莊嚴最爲第一。慚如鐵鉤能制人非法。是故比丘、常當慚恥、無得暫替。若離慚恥、則失諸功徳。有愧之人則有善法。若無愧者、與諸禽獸無相異也

汝等比丘、若有人來節節支解、當自攝心無令瞋恨。亦當護口勿出惡言。若縱恚心、則自妨道、失功徳利。忍之爲徳、持戒苦行所不能及。能行忍者、乃可名爲有力大人。若其不能歡喜忍受惡罵之毒如飮甘露者。不名入道智慧人也。所以者何、瞋恚之害、能破諸善法、壞好名聞。今世後世人不憙見。當知、瞋心甚於猛火。常當防護無令得入。劫功徳賊無過瞋恚。白衣受欲非行道人、無法自制、瞋猶可恕。出家行道無欲之人、而懷瞋恚甚不可也。譬如清冷雲中霹靂、起火非所應也。

汝等比丘、當自摩頭。已捨飾好著壞色衣、執持應器以乞自活、自見如是。若起憍慢、當疾滅之。謂長憍慢尚非世俗白衣所宜。何況出家入道之人、爲解脱故自降其心而行乞耶。

汝等比丘、諂曲之心與道相違。是故宜應質直其心。當知、諂曲但爲欺誑。入道之人則無是處。是故汝等。宜應端心以質直爲本。

汝等比丘、當知多欲之人、多求利故苦惱亦多。少欲之人無求無欲則無此患、直爾少欲尚應修習。何況少欲能生諸善功徳。少欲之人則無諂曲以求人意、亦復不爲諸根所牽。行少欲者、心則坦然無所憂畏。觸事有餘、常無不足。有少欲者則有涅槃。是名少欲。

汝等比丘、若欲脱諸苦惱、當觀知足。知足之法即是富樂安隱之處。知足之人雖臥地上、猶爲安樂。不知足者雖處天堂亦不稱意。不知足者雖富而貧。知足之人雖貧而富。不知足者常爲五欲所牽、爲知足者之所憐愍。是名知足。

汝等比丘、若求寂靜無爲安樂、當離憒閙獨處閑居。靜處之人、帝釋諸天所共敬重。是故當捨己衆他衆、空閑獨處思滅苦本。若樂衆者則受衆惱、譬如大樹衆鳥集之、則有枯折之患。世間縛著沒於衆苦。譬如老象溺泥、不能自出。是名遠離。

汝等比丘、若勤精進、則事無難者。是故汝等、當勤精進。譬如小水常流則能穿石。若行者之心數數懈廢、譬如鑚火未熱而息、雖欲得火火難可得。是名精進。

汝等比丘、求善知識求善護助而不忘念。若不忘念者。諸煩惱賊則不能入。是故汝等、常當攝念在心。若失念者則失諸功徳。若念力堅強、雖入五欲賊中不爲所害。譬如著鎧入陣、則無所畏。是名不忘念。

汝等比丘、若攝心者心則在定。心在定故能知世間生滅法相。是故汝等、常當精勤修集諸定。若得定者心則不亂。譬如惜水之家善治堤塘。行者亦爾、爲智慧水故、善修禪定令不漏失。是名爲定。

汝等比丘、若有智慧則無貪著。常自省察不令有失。是則於我法中能得解脱。若不爾者既非道人、又非白衣、無所名也。實智慧者則是、度老病死海堅牢船也、亦是無明黒闇大明燈也、一切病1苦之良藥也、伐煩惱樹者之利斧也、是故汝等、當以聞思修慧而自増益。若人有智慧之照、雖無天眼而是明見人也。是爲智慧。

汝等比丘、若種種戲論其心則亂。雖復出家猶未得脱。是故比丘、當急捨離亂心戲論。若汝欲得寂滅樂者、唯當善滅戲論之患。是名不戲論。

汝等比丘。於諸功徳、常當一心捨諸放逸、如離怨賊。大悲世尊所欲利益皆以究竟。汝等但當勤而行之。若在山間若空澤中、若在樹下閑處靜室、念所受法勿令忘失。常當自勉精進修之。無爲空死後致憂悔。我如良醫知病説藥、服與不服非醫咎也。又如善導導人善導、聞之不行非導過也。

汝等、若於苦等四諦有所疑者、可疾問之。無得懷疑不求決也。爾時世尊如是三唱、人無問者。所以者何、衆無疑故。爾時阿奴樓馱、觀察衆心、而白佛言、世尊、月可令熱、日可令冷、佛説四諦不可令異。佛説苦諦、眞實是苦、不可令樂。集眞是因、更無異因。苦若滅者即是因滅。因滅故果滅。滅苦之道實是眞道、更無餘道。世尊、是諸比丘、於四諦中決定無疑。於此衆中、所作未辦者、見佛滅度當有悲感。若有初入法者、聞佛所説即皆得度。譬如夜見電光即得見道。若所作已辦已度苦海者、但作是念、世尊滅度一何疾哉。阿奴樓馱、雖説是語、衆中皆悉了達四聖諦義、世尊欲令此諸大衆皆得堅固、以大悲心復爲衆説。

汝等比丘、勿懷憂惱。若我住世一劫、會亦當滅。會而不離終不可得。自利利人法皆具足。若我久住更無所益。應可度者、若天上人間皆悉已度、其未度者、皆亦已作得度因縁。自今已後、我諸弟子展轉行之、則是如來法身、常在而不滅也。是故當知、世皆無常、會必有離、勿懷憂也、世相如是。當勤精進早求解脱、以智慧明滅諸癡闇。世實危脆、無牢強者。我今得滅如除惡病。此是應捨罪惡之物、假名爲身。沒在生老病死大海。何有智者得除滅之、如殺怨賊、而不歡喜。

汝等比丘、常當一心勤求出道。一切世間動不動法、皆是敗壞不安之相。

汝等且止、勿得復語。時將欲過、我欲滅度。是我最後之所教誨。

佛垂般涅槃略説教誡經
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最古の漢訳経典とも言われる 『四十二章経』 麗蔵本の拙い口語訳です

禅家ならば学ぶべき経として古来より「仏祖三経」が挙げられているようです、「仏祖三経」とは「遺教経」・「潙山警策」・「四十二章経」の三つです。
この中で遺教経はよくお通夜の枕経に使われますし、また潙山警策を書かれた潙山禅師の公安は道元禅師もよく取り上げています。
潙山警策口語訳
潙山警策
残りの「四十二章経」はもともと小乗(歴史的表現)の経だとされていたらしく、大乗的思想の異本が現れて後、大乗経典としての地位を得たということです。

大体、下記のように分類できるといいます。
・麗蔵本:高麗本・宗本・元本を麗蔵本と呼び小乗的思想に終始すると言われる「四十二章経」。
・明蔵本:明蔵本は所々に大乗的思想を表示する句が付け加えられています「四十二章経」。
・守遂本:守遂禅師(投子義靑禅師の孫弟子である)が仏祖三経とした大乗色の濃い「仏説四十二章経」で、禅宗で良く読まれ、出版された解説本も数多く見られます。
明蔵本漢文はこちらです四十二章經明蔵本
麗蔵本漢文はこちらです四十二章經麗蔵本
ここでは下記資料を参考にして拾い上げた麗蔵本について拙い訳ですが挙げることにします、悪しからず。

参考資料
大正新修大蔵経
仏説四十二章経 仏遺教経

経疏部 註四十二章經


四十二章經

後漢に西域の沙門、迦葉摩騰 、共法蘭が譯す
昔、漢の孝明皇帝夜夢に神人を見る、身體は金色で有り、項に日光有り、殿前に飛在し、意中欣然たり、甚だ悦び 明日、郡臣に問うた。此れ何神と爲すや、通人有りて傅毅して曰く、臣天竺に得道者有りと聞く、號して曰く佛なり、輕擧飛能い、殆ど將に其の神なり、於て是れ上悟なり。即ち使者を遣り、張鶱羽林中郎將泰景博士弟子王遵等十二人、大月支國に至り、第十四石函中に在りて、佛經四十二章を寫取す、塔寺を登起立し、於て是の道法を流布す、處處に佛寺を修立し、遠人伏して臣妾者の爲に化願す、國内淸寧にして稱數う可からず、含識之類い蒙恩受頼し于いて今も絶ず也。
第一章
佛言く、親を辭して出家し道を爲す、名づけて沙門と曰う、常に二百五十戒を行い、進志清淨にして四眞道の行を爲し阿羅漢と成る。 阿羅漢者は飛行變化すること能い、壽命なり、住すれば天地を動す。次を阿那含と爲す、阿那含者は壽で終り、魂靈上十九天に於て阿羅漢を彼得す。次を爲斯陀含、斯陀含者は一たび上り一たび還りて即ち阿羅漢を得る。次を爲須陀洹、須陀洹者は七たび死し七たび生れて便ち阿羅漢を得る。 愛欲斷者は譬えば四支を斷じて、復た之れを用いざるが如し。
第二章 第三章
佛言く 鬚髮を除して沙門と爲り、佛法を受け、世の資財を去る。乞い求めて足るを取り、日中に一食、樹下に一宿し愼みて再びすること矣れ、人を使して愚蔽ならしむる者は愛と欲なれば也。
第四章
佛言く、衆生は十事を以って善と爲し、亦た十事を以って惡と爲す。身三口四意三なり、身三者とは殺、盜、婬なり、口四者とは兩舌、惡罵、妄言、綺語なり、意三者とは嫉、恚、癡なり、三尊を信ぜずを以って眞の邪と爲す、優婆塞は五事を行ず、懈退なく十事に至れば必ず道を得る也。
第五章
佛言く、人に衆の過り有り、而も自ら悔いて頓に其心を止めざれば、罪來りて身に歸すこと猶お水の海に歸して自ら深廣と成る矣、惡有れども非を知り過りを改め善を得れば、罪自ら消滅し後ちに道を會得する也。
第六章 第七章
佛言く 人愚かに吾れに以て不善を爲すが、吾れ四等慈を以て之を濟しく護る、重ねて惡を以て來る者には、吾れ重ねて善を以て往す、福徳之氣常に此に在る也、害氣を重ねて殃い反て彼に于いて在す、人有りて、佛道を聞き、大仁慈を守り、惡を以て來りても善を以て往す、故に來りて罵すとも佛默す、之を愍れみて答えず、癡冥狂愚使然として罵り止む、子に問うて曰く、禮を以て人に從るが其の人納ず、實に禮は之の如く乎、曰く持ち歸る、子今我を罵すが我れ亦た納めず、子自ら子身の禍を持ち歸るなり、猶お應に響の聲を影の形を追うがごとし、終いに愼に惡を爲して免れ離れる無し。
第八章
佛言く、惡人の賢者を害すは、猶お天を仰いで唾するに唾の天を汚さず、還て己身を汚す、逆風に人を坋すとも塵は彼を汚さず、還って于いて身を坋す、賢者を毀禍すは不可なり、必ず己を滅す也。
第九章 第十章
佛言く 夫れ人が道に務め博愛を爲せば博く哀を施せ、徳も莫た大施なり、志を守り道を奉ずれば其の福は甚大なり、人道を施すを覩て之を助けて歡喜すれば、亦た福報を得る、質に曰く彼の福當に減せざる、佛言く、猶お炬火の如し、數千百人各の炬を以て來り取れども其の火は去らず、彼は故に火の如し、福も亦たこの如し。
第十一章
佛言く、百の凡人に飯せんよりは一の善人に飯するに如かず、千の善人に飯せんよりは一人の持五戒者に飯するに如かず、萬人の持五戒者に飯せんよりは一の須陀洹に飯するに如かず、百萬の須陀洹に飯せんよりは一に斯陀含に飯するに如かず、千萬の斯陀含に飯せんよりは一の阿那含に飯するに如かず、 一億の阿那含に飯せんよりは一の阿羅漢に飯するに如かず、十億の阿羅漢に飯せんよりは一の辟支佛に飯するに如かず、百億の辟支佛に飯せんよりは三尊之教度其一世二親に飯するに如かず、数千億よりは一佛に飯するに如かず、佛に求めんと欲し學び願う濟しく衆生なる善人に飯するは福最深重なり、凡人は天地鬼神を事とし、其の親を孝するに如かず、二親最神也 。
第十二章
佛言く、天下に五難有り、貧窮して布施すること難し、豪貴にして道を學ぶこと難し、命を制して死ざること難し、佛經を覩ることを得ること難し、佛世に生を値うこと難し。 
第十三章
沙門有りて佛に問う、何を以て得道の縁とす、宿命を知るに奈何、佛言く、道に形無し、之を知るに益無し、當に志と行を守らんと要す、譬えば鏡を磨くが如く垢去りて明存す、即ち自ら形を見る、欲を斷じ空を守る、即ち眞に道を見る、宿命と知る矣。 
第十四章 第十五章
佛言く、何者を善と爲すや、唯だ道を行ずを善とす、何者を最大とするや、道に合う志しを與すを大とす、何者を多力とするや、忍辱を最健とす、忍ぶ者は怨無し、必ず人に尊ぶ爲り、何者を最も明心垢除とするや、惡行を滅し内に清淨無瑕なり、未だ天地の有らざるより于いて今日に逮るまで、十方の所有ことに、未だ之の萌を見ず、知らずということ無し、聞かずということ無しを得る 一切智を得るには明と謂う可し乎。
第十六章
佛言く、人が愛欲を懷きて道を見ずは、譬えば濁水に以て五彩を其中に投じるが如し、之を致力して攪せば衆人共に臨めども、水上に其の影を覩る者有ること無し、愛欲交錯し心中濁と爲す、故に道を見ざる、水澄んで穢除し清淨無垢なれば即ち自ら形を見る、釜下に猛火を著し中に水踊躍し、布を以て上を覆えば衆生照臨すれども亦其影を覩る者無し、心中に本より三毒有りて湧沸内に在す、五蓋に外を覆れ終に道を見ず、心垢は盡く乃ち魂靈の從り來し所、生死の所の趣向を要すと知る、諸佛の國土に道徳の所在を耳す。 
第十七章
佛言く、夫れ道を爲す者は、譬えば炬火を持して冥室中に入るが如し、其の冥即ち滅して而も明猶お在す、道を學び諦を見れば愚癡都て滅して見ざること無しを得る。
第十八章
佛言く、吾が何の念を念の道とし、吾が何の行を行の道とし、吾が何の言を言の道とするや、吾が念は諦の道なり、須臾に忽せず也。 
第十九章
佛言く、天地を覩て常に非らずと念じ、山川を覩て常に非らずと念じ、萬物の形體の豐熾を覩て常に非らずと念ず、心に執ること此の如しならば、道を得ること疾なり矣、佛言く、一日道を念じ道を行ずるを常に行ずれば遂に信根を得る、其の福は無量なり。 
第二十章
佛言く、身中四大を熟に自ら念ずれば、各自に名有れども、都て無爲り、吾が我者は寄りて生じ亦た久からず、其の事幻耳の如し。
第二十一章
佛言く、人、情欲に隨いて花名を求む、譬えば香を燒するが如し、衆人其の香を聞ぐが、然れども香は薫を以て自ら燒く、愚者は流俗之名譽を貪ぼる、眞道を守らず、花名は己を危くす之禍いなり、其の悔は後時に在り。
第二十二章
佛言く、財色之人に於けるや、譬えば小兒の刀を貪るが如し、刃に之れ蜜甜あり、一食之美に足らざる、然れども舌之患を截くこと有る也。
第二十三章
佛言く、人、妻子寶宅に於て繋る之の患いは、牢獄桎梏鋃鐺に於けるよりも甚だし、牢獄は原赦有れども妻子精欲は雖だ虎口之禍い有り、已に猶お甘心に投じ焉り其の罪を赦すこと無し。
第二十四章
佛言く、愛欲は於て色より甚しきこと莫し、色之欲爲るは其の大なること外に無し、頼に一有るのみ矣、其れ假に二あれば普く天之民は、能く道の爲にする者無し。
第二十五章
佛言く、愛欲之人は猶お炬火を執りて風に逆い而も行く、愚者は炬を釋らず必ず手を燒く之患い有り、貪婬恚怒愚癡之毒は人身の處に在り、早く道を以て斯の禍いを除かざる者は必ず危殃有り、猶お愚貪の炬を執りて自ら其の手を燒く也。
第二十六章
天神、時有りて、玉女を於て佛に獻じ、以て佛意を試し佛道を觀んと欲す、佛言く、革嚢の衆穢、爾來るも斯れを以て何をか爲す可し、俗は六通動ずること難し、去れ、吾が爾に用いず、天神踰いよ佛を敬い因て道意を問う、佛解釋を爲せば、即ち須陀洹を得る。
第二十七章
佛言く、夫れ道を爲す者は、猶お木の水に在りて流を尋ね而して行くがごとし、岸の左に觸らず亦た岸の右に觸らず、人の取る所に爲さず、鬼神の遮ぎる所に爲ず、洄流し住する所に爲ず、亦た腐敗せず、吾が其れ海に入るを保つ矣、道を爲す人、情欲惑いの所に爲ず、衆邪誑りの所に爲ず、無疑に精進すれば吾が其の得道を保つ矣。 
第二十八章
佛、沙門に告ぐ、愼みて汝意を信ずる無れ、汝意は終に信ず可からず、愼みて色に會う與う無れ、色に會い與えば即ち禍い生ず、阿羅漢道を得れば乃ち汝意耳を信ず可し。 
第二十九章
佛、諸沙門に告ぐ、愼みて女人を視ること無れ、若し見ても視ること無し、愼みて言を與えること無れ、若し言を與える者は、心を勅し行を正せよ、曰く吾れ沙門爲り濁世の處に于ても、當に蓮花の泥所の爲に汚れざるが如し、老者を以て母と爲し、長者を以て姊と爲す、少者を以て妹と爲す、幼者は子のごとくし、之れ禮を以て敬い、意は殊に當に諦を惟だ観る、自ら頭から足に至るまで自ら内を視て、彼の身は唯だ惡露諸不淨種の盛りなり何か有らむと、以て其の意を釋すべし。 
第三十章
佛言く、人、道を爲すは情欲を去るべし、當に草の火を見るが如し、火、已に劫來す、人の愛欲を見るは、必ず當に道之れ遠し。 
第三十一章
佛言く、人有り、婬情の止ざるを患い、斧の刃上を踞ぎて以て自ら其の陰を除す、 佛之に謂うて曰く、若し陰を斷ずること使しむには、心を斷つに如ず、 心は功曹を爲す、 功曹若し止めば、從う者都て息まん、邪心止まらざれば陰を斷って何の益えきあらん、 斯れ須らく即ち死す、佛言く、世俗は倒見す、斯くの如きの癡人は、童女婬の彼男に與う有るを誓う、期至るに來らず而て自ら悔いて曰く、思想生じるを以て吾が爾の本意を知らんと欲す、吾が爾に思想せず即ち爾に而して生ぜず、此の迦葉佛之偈を記し俗間に流在す。 
第三十二章
佛言く、人愛欲に從りて憂い生ず、憂に從りて畏れ生ず、愛無くば即ち憂い無し、憂ざれば即ち畏れ無し。
第三十三章
佛言く、人、道を爲すは、譬えば一人と萬人戰うが如し、鉀を被し兵を操して門を出で戰わんと欲す、意怯え膽弱なれば迺ち自ら退走す、或は道半で還る、或は格鬥して而死す、或は大勝を得て還り國高遷す、夫れ人能く其の心を牢持すれば、精鋭進行にして流俗の狂愚之言者に惑わざるに于て惡盡く滅さんと欲す、必ず道を得る矣。
第三十四章
沙門有りて、夜誦す、甚だ悲意にして悔疑有り、歸思生ぜんと欲す、佛、沙門を呼びて問う、汝、家處に于て將に何の修を爲すや 對へて曰く恒に琴を彈く、佛言く、絃緩ければ何如、曰く鳴らざる矣、絃急ならば何如、聲絶ゆ矣、急緩中を得ば何如、曰く諸音普く悲し、佛告ぐ、沙門の學道も猶お然り、心調適に執れば道を得可し矣。
第三十五章
佛言く、夫れ人、道を爲すに猶お鐵を鍛え漸いよ深所に垢を棄去し器を成すべし、必ず道を好學し以て心垢を漸いよ深きに去りて精進成道すべし、暴なるは即ち身を疲す、身を疲せば即ち意を惱す、意を惱せば即ち行を退す、行を退せば即ち罪を修すなり。 
第三十六章
佛言く、夫れ人、三惡道を離れ人と爲るを得ること難し、既に人と爲るを得るも、女を去りて即ち男たること難し、既に男爲るを得るも、六情完具すること難し、六情已に具うとも、國中に生れること難し、既に國中に處するとも、佛道に値い奉ずること難し、既に佛道に奉ずるも、道之君に値い有うこと難く菩薩の家に生れること難し、既に菩薩の家に生れたるも、三尊の信心を以て佛世に値うこと難し。 
第三十七章
佛言く、弟子吾を去り離れること數千里なるも、吾が戒を意念すれば必ず道を得る、吾が左側に在りとも、意邪に在れば終に道を得ず。
第三十八章
佛、諸の沙門に問う、人の命は幾間に在りや、對へて曰く數日の間に在り、佛言く、子未だ能く道を爲さず、復た一沙門に問う、人の命は幾間に在りや、對へて曰く飯食の間に在り、佛言く子未だ能く道を爲さず、復た一沙門に問う、人の命は幾間に在りや、對へて曰く呼吸之間、佛言く、善哉、子謂可べし道を爲す者矣。
第三十九章
佛言く、人、道を爲すに、猶若し蜜を食すに中邊だ皆甜し、吾が經も亦た爾其の義皆快し、行ずる者は道を得る矣。
第四十章
佛言く、人道を爲すに能く愛欲之根を拔くべし、譬えば珠を擿み懸るが如く、盡く惡會い有る時一一之を擿み盡く道を得る也。
第四十一章
佛言く、諸の沙門道を行うは、當に牛を負うて深泥中を行くが如し、疲れ極まるも敢えて左右を顧りみず、欲の趣く泥を離れ以て自ら蘇息すべし、沙門視るべし、情欲の泥彼り於て甚だし、心を直し道を念ずれば、衆苦を免る可し。
第四十二章
佛言く、吾れ、諸侯之位を視ること、過客の如し、金玉之寶を視ること、礫石の如し、 氎素之服を視ること、弊帛の如し。
四十二章經

最古の漢訳経典とも言われる 『四十二章経』 の(明蔵本)です。

禅家ならば学ぶべき経として古来より「仏祖三経」が挙げられているようです、「仏祖三経」とは「遺教経」・「潙山警策」・「四十二章経」の三つです。
この中で遺教経はよくお通夜の枕経に使われますし、また潙山警策を書かれた潙山禅師の公安は道元禅師もよく取り上げています。
潙山警策口語訳
潙山警策
残りの「四十二章経」はもともと小乗の経だとされていたらしく、大乗的思想の異本が現れて後、大乗経典としての地位を得たということです。

大体、下記のように分類できるといいます。
・麗蔵本:高麗本・宗本・元本を麗蔵本と呼び小乗的思想に終始すると言われる「四十二章経」。
・明蔵本:明蔵本は所々に大乗的思想を表示する句が付け加えられています「四十二章経」。
・守遂本:守遂禅師(投子義靑禅師の孫弟子である)が仏祖三経とした大乗色の濃い「仏説四十二章経」で、禅宗で良く読まれ、出版された解説本も数多く見られます。

ここではほとんど出版のない明蔵本を下記資料を参考にして拾い上げました。
また麗蔵本について別項でご覧ください、また別項に拙い訳ですが挙げることにします、悪しからず。

麗蔵本漢文はこちらです四十二章經麗蔵本
麗蔵本口語訳はこちらです麗蔵本読み下し文

参考資料
大正新修大蔵経
仏説四十二章経 仏遺教経

明蔵本(麗蔵本に対して所々に大乗的思想を表示する句が付け加えられているといわれる。)

佛説四十二章經

迦葉摩騰 共竺法蘭 奉詔譯

爾時世尊既成道已 作是思惟 離欲寂靜 是最爲勝 住大禪定 降諸魔道 今轉法輪度衆生於鹿野苑中 爲憍陳如等五人 轉四諦法輪 而證道果 時復有比丘 所説諸疑 陳佛進止 世尊教詔 一一開悟 合掌敬諾 而順尊勅
第一章
佛言辭親出家 爲道識心達本 解無爲法 名曰沙門 常行二百五十戒 爲四眞道行進志清淨 成阿羅漢 阿羅漢者 能飛行變化 住壽命 動天地 次爲阿那含 阿那含者 壽終魂靈 上十九天 於彼得阿羅漢 次爲斯陀含 斯陀含者 一上一還 即得阿羅漢 次爲須陀洹 須陀洹者 七死七生 便得阿羅漢  愛欲斷者 譬如四支斷 不復用之 
第二章
佛言 出家沙門者 斷欲去愛 識自心源 達佛深理 悟佛無爲 内無所得 外無所求 心不繋道亦不結業 無念無作 無修無證 不歴諸位 而自崇最 名之爲道 
第三章
佛言 剃除鬚髮 而爲沙門 受佛法者 去世資財 乞求取足 日中一食 樹下一宿 愼不再矣 使人愚蔽者 愛與欲也 
第四章
佛言 衆生以十事爲善 亦以十事爲惡 何者爲十 身三口四意三 身三者 殺盜婬 口四者 兩舌惡罵妄言綺語 意三者 嫉恚癡 不信三尊 以邪爲眞 優婆塞行五事 不懈退 至十事必得道也
第五章
佛言 人有衆過 而不自悔 頓止其心 罪來歸身猶水歸海 自成深廣 何能免離 有惡知非 改過得善 罪自消滅後會得道也 
第六章
第七章
佛言 人愚以吾爲不善 吾以四等慈 護濟之 重以惡來者 吾重以善往 福徳之氣 常在此也 害氣重殃 反在于彼 有愚人 聞佛道 守大仁慈 以惡來 以善往 故來罵 佛默 不答愍之癡 冥狂愚使然 罵止 問曰子 以禮從人 其人不納 實理如之乎 曰持歸 今子罵我 我亦不納 子自持歸禍子身矣 猶響應聲影之追形 終無免離 愼爲惡也
第八章
佛言 惡人害賢者 猶仰天而唾 唾不汚天 還汚己身 逆風坋人 塵不汚彼 還坋于身 賢者不可毀禍必滅己也
第九章
第十章
佛言 夫人爲道務博愛 博哀施 徳莫大施 守志奉道 其福甚大 覩人施道 助之歡喜 亦得福報 質曰彼福不當減乎 佛言 猶如炬火 數千百人 各以炬來取其火去 彼火如故 福亦如之 
第十一章
佛言 飯凡人百 不如飯一善人 飯善人千 不如飯持五戒者一人 飯持五戒者萬人 不如飯一須陀洹 飯須陀洹百萬 不如飯一斯陀含 飯斯陀含千萬 不如飯一阿那含 飯阿那含一億 不如飯一阿羅漢 飯阿羅漢十億 不如飯一辟支佛 飯辟支佛百億 不如飯一佛學願求佛欲濟衆生也 飯善人 福最深重 凡人事天地鬼神 不如孝其二親矣 二親最神也
第十二章
佛言 天下有二十難 貧窮布施難 豪貴學道難 制命不死難 得覩佛經難 生値佛世難 忍色離欲難 見好不求難 有勢不臨難 被辱不瞋難 觸事無心難 廣學博究難 不輕未學難 除滅我慢難 不説是非難 會善知識難 見性學道難 對境不動難 隨化度人難 善解方便難 心行平等難 
第十三章
有沙門問佛 以何縁得道 奈何知宿命 佛言 道無形相 知之無益 要當守志行 譬如磨鏡 垢去明存 即自見形 斷欲守空 即見道眞 知宿命矣 
第十四章
佛言 何者爲善 惟行道善 何者最大 志與道合大 
第十五章
何者多力 忍辱最健 忍者無惡 必爲人尊 何者最明心垢除 惡行滅内清淨無瑕 未有天地 逮于今日 十方所有 未嘗不見 得無不知無不聞 得一切智 可謂明乎
第十六章
佛言 人懷愛欲 不見道者 譬如濁水以五彩投其中 致力攪之 衆人共臨 水上無有覩其影 愛欲交錯 心中爲濁 故不見道 若人漸解懺悔來近知識 水澄穢除清淨無垢即自見形 猛火著釜下中水踊躍 以布覆上衆生照臨亦無覩其影者 心中本有三毒湧沸在内 五蓋覆外 終不見道 惡心垢盡乃知魂靈所從來生死所趣向 諸佛國土道徳所在耳 
第十七章
佛言 夫爲道者 譬如持炬火入冥室中 其冥即滅而明猶存 學道見諦 愚癡都滅 無不明矣 
第十八章
佛言 吾何念念道 吾何行行道 吾何言言道 吾念諦道 不忘須臾也 
第十九章
佛言 覩天地 念非常 覩山川 念非常 覩萬物形體豐熾念非常 執心如此 得道疾矣 
佛言 一日行常念道行道 遂得信根 其福無量 
第二十章
佛言 熟自念身中四大 各自有名 都爲無 吾我者寄 亦不久 其事如幻耳
第二十一章
佛言 人隨情欲 求花名 譬如燒香衆人聞其香 然香以薫自燒愚者貪流俗之名譽 不守道眞 花名危己之禍 其悔在後時
第二十二章
佛言 財色之於人 譬如小兒貪刀 刃之蜜甜 不足一食之美 然有截舌之患也 
第二十三章
佛言 人繋於妻子寶宅之患 甚於牢獄桎梏榔檔 牢獄有原赦 妻子精欲雖有虎口之禍 已猶甘心投焉 其罪無赦
第二十四章
佛言 愛欲莫甚於色 色之爲欲 其大無外 頼有一矣 假其二同 普天之民 無能爲道者
第二十五章
佛言 愛欲之人 猶執炬火逆風而行 愚者不釋炬必有燒手之患 貪婬恚怒愚癡之毒 處在人身 不早以道 除斯禍者 必有危殃 猶愚貪執炬自燒其手也
第二十六章
時有天神獻玉女於佛 欲以試佛意觀佛道 佛言 革嚢衆穢 爾來何爲以可誑 俗難動六通 去吾不用爾 天神愈敬佛 因問道意 佛爲解釋 即得須陀洹
第二十七章
佛言 夫爲道者 猶木在水尋流而行 不左觸岸亦不右觸岸 不爲人所取 不爲鬼神所遮 不爲洄流所住 亦不腐敗 吾保其入海矣 人爲道 不爲情欲所惑 不爲衆邪所誑 精進無疑 吾保其得道矣 
第二十八章
佛告沙門 愼無信汝意 汝意終不可信 愼無與色會 色會即禍生 得阿羅漢道 乃可信汝意耳 
第二十九章
佛告諸沙門 愼無視女人 若見無見 愼無與言 若與言者 勅心正行 曰吾爲沙門處于濁世 當如蓮花不爲泥所汚 老者以爲母 長者以爲姊 少者以爲妹 幼者予 敬之以禮 意殊當諦惟観 自頭至足自視内 彼身何有唯盛惡露諸不淨種 
第三十章
佛言 人爲道去情欲 當如草見大火來已劫 道人見愛欲 必當遠之 
第三十一章
佛言 人有患婬情不止 踞斧刃上 以自除其陰 佛謂之曰 若使斷陰 不如斷心 心爲功曹 若止功曹 從者都息 邪心不止 斷陰何益 斯須即死 佛言 世俗倒見 如斯癡人 有婬童女與彼男誓 至期不來而自悔曰 欲吾知爾本意 以思想生 吾不思想爾 即爾而不生 記之此迦葉佛偈 流在俗間 
第三十二章
佛言 人從愛欲生憂 從憂生畏 無愛即無憂 不憂即無畏
第三十三章
佛言 人爲道 譬如一人與萬人戰 被甲操兵出門欲戰 意怯膽弱迺自退走 或半道還 或格鬥而死 或得大勝還國高遷 夫人能牢持其心 精鋭進行不惑於 流俗狂愚之言者 欲滅惡盡 必得道矣 
第三十四章
有沙門 夜誦其聲悲緊 欲悔思返 佛呼沙門問 汝處于家將何修爲 對曰常彈琴 佛言 弦緩何如 曰不鳴矣 弦急何如。曰聲絶矣 急緩得中何如 曰諸音普調 佛告 沙門學道猶然 執心調適 道可得矣 
第三十五章
佛言 夫人爲道猶所鍛鐵漸深垂去垢 成器必好學道以漸深去心垢精進成道異 即身疲 身疲即意惱 意惱即行退 行退即修罪 
第三十六章
佛言 夫人離三惡道 得爲人難 既得爲人 去女即男難 既得爲男 六情完具難 六情已具 生中國難 既處中國 値奉佛道難 既奉佛道 値有道之君難 値有道之君 生菩薩家難 既生菩薩家 以心信三尊値佛世難 
第三十七章
佛言 弟子去離吾數千里 意念吾戒必得道 若在吾側 意在邪終不得道
第三十八章
佛問諸沙門 人命在幾間 對曰在數日間 佛言 子未能爲道 復問一沙門 人命在幾間 對曰在飯食間 去子未能爲道 復問一沙門 人命在幾間 對曰呼吸之間 佛言 善哉子可謂爲道者矣
第三十九章
佛言 人爲道 猶若食蜜中邊皆甜 吾經亦爾其義皆快 行者得道矣
第四十章
佛言 人爲道能拔愛欲之根 譬如擿懸珠 一一擿之 會有盡時 惡盡得道也
第四十一章
佛言 諸沙門行道 當如牛負行深泥中 疲極不敢左右顧 趣欲離泥以自蘇息 沙門視 情欲甚於彼泥 直心念道 可免衆苦
第四十二章
佛言 吾視諸侯之位 如塵隙 視金玉之寶 如瓦礫 視紈素之服 如弊帛 視大千世界 如一訶子 視四耨水 如塗足油 視方便 如筏寶聚 視無上乘 如夢金帛 視求佛道 如眼前花 視求禪定 如須彌柱 視求涅槃 如晝夜寤 視倒正者 如六龍舞 視平等者 如一眞地 視興化者 如四時木 諸大比丘 聞佛所説 歡喜奉行佛説四十二章經終

最古の漢訳経典とも言われる 『四十二章経』 の(麗蔵本)です。

禅家ならば学ぶべき経として古来より「仏祖三経」が挙げられているようです、「仏祖三経」とは「遺教経」・「潙山警策」・「四十二章経」の三つです。
この中で遺教経はよくお通夜の枕経に使われますし、また潙山警策を書かれた潙山禅師の公安は道元禅師もよく取り上げています。
潙山警策口語訳
潙山警策
残りの「四十二章経」はもともと小乗(歴史的表現です悪しからず)の経だとされていたらしく、大乗的思想の異本が現れて後、大乗経典としての地位を得たということです。

大体、下記のように分類できるといいます。
・麗蔵本:高麗本・宗本・元本を麗蔵本と呼び小乗的思想に終始すると言われる「四十二章経」。
・明蔵本:明蔵本は所々に大乗的思想を表示する句が付け加えられています「四十二章経」。
・守遂本:守遂禅師(投子義靑禅師の孫弟子である)が仏祖三経とした大乗色の濃い「仏説四十二章経」で、禅宗で良く読まれ、出版された解説本も数多く見られます。

ここではほとんど出版のない麗蔵本と明蔵本(別項)を下記資料を参考にして拾い上げました。
また麗蔵本については拙い訳(別項)ですが挙げることにします、悪しからず。

明蔵本漢文はこちらです四十二章經明蔵本
麗蔵本口語訳はこちらです麗蔵本読み下し文

参考資料
大正新修大蔵経
仏説四十二章経 仏遺教経

麗蔵本(高麗本・宗本・元本による麗蔵本、小乗的思想に終始するといわれる。)

四十二章經

後漢西域沙門迦葉摩騰 共法蘭譯
昔漢孝明皇帝 夜夢見神人 身體有金色 項有日光 飛在殿前 意中欣然 甚悦之 明日問郡臣
此爲何神也 有通人傅毅曰 臣聞天竺 有得道者 號曰佛 輕擧能飛 殆將其神也 於是上悟
即遣使者 張鶱羽林中郎將泰景博士弟子王遵等十二人 至大月支國 寫取佛經四十二章 在第十四石函中 登起立塔寺 於是道法流布 處處修立佛寺 遠人伏化願爲臣妾者 不可稱數國内淸寧 含識之類 蒙恩受頼 于今不絶也
第一章
佛言 親出家 爲道 名曰沙門 常行二百五十戒 爲四眞道行進志清淨 成阿羅漢 阿羅漢者 能飛行變化 住壽命動天地 次爲阿那含 阿那含者壽終 魂靈上十九天 於彼得阿羅漢 次爲斯陀含 斯陀含者 一上一還 即得阿羅漢 次爲須陀洹 須陀洹者 七死七生 便得阿羅漢  愛欲斷者 譬如四支斷 不復用之 
第二章
第三章
佛言 除鬚髮 爲沙門 受佛法 去世資財 乞求取足 日中一食 樹下一宿 愼不再矣 使人愚蔽者 愛與欲也 
第四章
佛言 衆生以十事爲善 亦以十事爲惡 身三口四意三 身三者 殺盜婬 口四者 兩舌惡罵妄言綺語 意三者 嫉恚癡 不信三尊 以邪爲眞 優婆塞行五事 不懈退 至十事必得道也
第五章
佛言 人有衆過 而不自悔 頓止其心 罪來歸身猶水歸海 自成深廣矣 有惡知非 改過得善 罪自消滅後會得道也 
第六章
第七章
佛言 人愚以吾爲不善 吾以四等慈 護濟之 重以惡來者 吾重以善往 福徳之氣 常在此也 害氣重殃 反在于彼有人 聞佛道 守大仁慈 以惡來 以善往 故來罵 佛默 不答愍之 癡冥狂愚使然 罵止 問曰子 以禮從人 其人不納 實禮如之乎 曰持歸 今子罵我 我亦不納 子自持歸禍子身矣 猶響應聲影之追形 終無免離愼爲惡也
第八章
佛言 惡人害賢者 猶仰天而唾 唾不汚天 還汚己身 逆風坋人 塵不汚彼 還坋于身 賢者不可毀禍必滅己也
第九章
第十章
佛言 夫人爲道務博愛 博哀施 徳莫大施 守志奉道 其福甚大 覩人施道 助之歡喜 亦得福報 質曰彼福不當減乎 佛言 猶如炬火 數千百人 各以炬來取其火去 彼火如故 福亦如之 
第十一章
佛言 飯凡人百 不如飯一善人 飯善人千 不如飯持五戒者一人 飯持五戒者萬人 不如飯一須陀洹 飯須陀洹百萬 不如飯一斯陀含 飯斯陀含千萬 不如飯一阿那含 飯阿那含一億 不如飯一阿羅漢 飯阿羅漢十億 不如飯一辟支佛  飯辟支佛百億 不如飯三尊之教度其一世二親 数千億 不如飯一佛 學願求佛欲濟衆生也 飯善人 福最深重 凡人事天地鬼神 不如孝其親矣 二親最神也
第十二章
佛言 天下有五難 貧窮布施難 豪貴學道難 制命不死難 得覩佛經難 生値佛世難 
第十三章
有沙門問佛 以何縁得道 奈何知宿命 佛言 道無形 知之無益 要當守志行 譬如磨鏡 垢去明存 即自見形 斷欲守空 即見道眞 知宿命矣
第十四章
第十五章
佛言 何者爲善 唯行道善 何者最大 志與道合大 
何者多力 忍辱最健 忍者無怨 必爲人尊 何者最明心垢除 惡行滅内清淨無瑕 未有天地 逮于今日 十方所有 未見之萌 得無不知無不聞 得一切智 可謂明乎
第十六章
佛言 人懷愛欲 不見道 譬如濁水以五彩投其中 致力攪之 衆人共臨 水上無有覩其影者 愛欲交錯 心中爲濁 故不見道 水澄穢除清淨無垢即自見形 猛火著釜下中水踊躍 以布覆上衆生照臨亦無覩其影者 心中本有三毒湧沸在内 五蓋覆外 終不見道 要心垢盡乃知魂靈所從來生死所趣向 諸佛國土道徳所在耳 
第十七章
佛言 夫爲道者 譬如持炬火入冥室中 其冥即滅而明猶在 學道見諦 愚癡都滅 得無不見  
第十八章
佛言 吾何念念道 吾何行行道 吾何言言道 吾念諦道 不忽須臾也 
第十九章
佛言 覩天地 念非常 覩山川 念非常 覩萬物形體豐熾念非常 執心如此 得道疾矣 
佛言 一日行常念道行道 遂得信根 其福無量 
第二十章
佛言 熟自念身中四大 各自有名 都爲無 吾我者寄生 亦不久 其事如幻耳
第二十一章
佛言 人隨情欲求花名 譬如燒香衆人聞其香 然香以薫自燒 愚者貪流俗之名譽 不守道眞 花名危己之禍 其悔在後時
第二十二章
佛言 財色之於人 譬如小兒貪刀 刃之蜜甜 不足一食之美 然有截舌之患也
第二十三章
佛言 人繋於妻子寶宅之患 甚於牢獄桎梏鋃鐺 牢獄有原赦 妻子精欲雖有虎口之禍 已猶甘心投焉 其罪無赦 
第二十四章
佛言 愛欲莫甚於色 色之爲欲 其大無外 頼有一矣 假其二 普天之民 無能爲道者
第二十五章
佛言 愛欲之人 猶執炬火逆風行 愚者不釋炬必有燒手之患 貪婬恚怒愚癡之毒 處在人身 不早以道 除斯禍者 必有危殃 猶愚貪執炬自燒其手也
第二十六章
時有天神獻玉女於佛 欲以試佛意觀佛道 佛言 革嚢衆穢 爾來何爲以可斯 俗難動六通 去吾不用爾 天神踰敬佛 因問道意 佛爲解釋 即得須陀洹 
第二十七章
佛言 夫爲道者 猶木在水尋流而行 不左觸岸亦不右觸岸 不爲人所取 不爲鬼神所遮 不爲洄流所住 亦不腐敗 吾保其入海矣 人爲道 不爲情欲所惑 不爲衆邪所誑 精進無疑 吾保其得道矣 
第二十八章
佛告沙門 愼無信汝意 汝意終不可信 愼無與色會 與色會即禍生 得阿羅漢道 乃可信汝意耳 
第二十九章
佛告諸沙門 愼無視女人 若見無視 愼無與言 若與言者 勅心正行 曰吾爲沙門處于濁世 當如蓮花不爲泥所汚 老者以爲母 長者以爲姊 少者以爲妹 幼者子 敬之以禮 意殊當諦惟観 自頭至足自視内 彼身何有唯盛惡露諸不淨種 以釋其意 
第三十章
佛言 人爲道去情欲 當如草見火 火來已劫 道人見愛欲 必當遠之 
第三十一章
佛言 人有患婬情不止 踞斧刃上 以自除其陰 佛謂之曰 若使斷陰 不如斷心 心爲功曹 若止功曹 從者都息 邪心不止 斷陰何益 斯須即死 佛言 世俗倒見 如斯癡人 有婬童女與彼男誓 至期不來而自悔曰 欲吾知爾本意 以思想生 吾不思想爾 即爾而不生 記之此迦葉佛偈 流在俗間 
第三十二章
佛言 人從愛欲生憂 從憂生畏 無愛即無憂 不憂即無畏
第三十三章
佛言 人爲道 譬如一人與萬人戰 被鉀操兵出門欲戰 意怯膽弱迺自退走 或半道還 或格鬥而死 或得大勝還國高遷 夫人能牢持其心 精鋭進行不惑于 流俗狂愚之言者 欲滅惡盡 必得道矣
第三十四章
有沙門 夜誦甚悲意有悔疑 欲生思歸 佛呼沙門問 汝處于家將何修爲 對曰恒彈琴 佛言 絃緩何如 曰不鳴矣 絃急何如 聲絶矣 急緩得中何如 曰諸音普悲 佛告 沙門學道猶然 執心調適 道可得矣 
第三十五章
佛言 夫人爲道猶所鍛鐵漸深棄去垢成器 必好學道以漸深去心垢精進成道 暴即身疲 身疲即意惱 意惱即行退 行退即修罪 
第三十六章
佛言 夫人離三惡道 得爲人難 既得爲人 去女即男難 既得爲男 六情完具難 六情已具 生中國難 既處中國 値奉佛道難 既奉佛道 値有道之君難 生菩薩家難 既生菩薩家 以心信三尊値佛世難 
第三十七章
佛言 弟子去離吾數千里 意念吾戒必得道 在吾左側 意在邪終不得道
第三十八章
佛問諸沙門 人命在幾間 對曰在數日間 佛言 子未能爲道 復問一沙門 人命在幾間 對曰在飯食間 佛言子未能爲道 復問一沙門 人命在幾間 對曰呼吸之間 佛言 善哉子可謂爲道者矣
第三十九章
佛言 人爲道 猶若食蜜中邊皆甜 吾經亦爾其義皆快 行者得道矣
第四十章
佛言 人爲道能拔愛欲之根 譬如擿懸珠 一一擿之會有盡時惡盡得道也
第四十一章
佛言 諸沙門行道 當如牛負行深泥中 疲極不敢左右顧 趣欲離泥以自蘇息 沙門視 情欲甚於彼泥 直心念道 可免衆苦
第四十二章
佛言 吾視諸侯之位 如過客 視金玉之寶 如礫石 視氎素之服 如弊帛
四十二章經

『潙山警策』の読み下し文です

「潙山警策講義」山田孝道著を参考に読み下しにしてみました、漢字仮名遣いは古いままです。
近代デジタルライブラリー

原文はこちらです  潙山警策

潙山警策

第一章 色身の大患を示す
其れ業繋身を受く、未だ形累を免れず。父母の遺體を禀け、衆縁を假りて共に成ず。乃ち四大を扶持すと雖も、常に相ひ違背す。無常老病人と期せず、朝に存し夕に亡じ、刹那に世を異にす。譬えば春霜暁露の倐忽として即ち無きが如し、岸樹井藤、豈に能く長久ならんや。念念迅速なること、一刹那の間なり、息を轉ずれば即ち是れ來生何んぞ乃ち晏然として空しく過さん。

第二章 出家の流弊を懲す
父母に甘旨を供せず、六親固に以って棄離し、國を安じ邦を冶ること能はず、 家業頓に繼嗣を損つ、緬に郷黨を離れて、髪を剃って師に禀く、内には克念の功を勤め、外には不諍の徳を弘め、逈に塵世を脱して、冀って出離を期すべし。 何ぞ乃ち纔に戒品に登れば、便ち言う我は是れ比丘なりと、檀越の須むる所、常佳を喫し用ひ。來處を付思することを解せず、謂言らく法薾として供に会ふと、喫し了って頭を聚めて喧喧として但だ人間の襍話を説く。然ば則ち一期の楽を趂う、楽は是れ苦の因なることを知らず。嚢劫塵に循ひ、未だ甞て返省せず、時光淹没し、歳月蹉跎たり、受用殷繁にして施利濃厚なり、動もすれば年載を經て棄離を擬せず、積聚すること滋すます多くして、幻質を保持す。導師勅有りて比丘を誡勗す、道に進み身を嚴しみ三常に足らざれと、人多く此に於いて、昧に耽りて休まず、日徃き月來り颯然として白首なり。後學未だ旨趣を聞かずば應に須く博く先知に問ふべし將に謂へり出家は衣食を求むるを貴しとすと。佛先ず律を制して啓創して蒙を發く軏則威儀淨きこと氷雪の如し、止冶作犯初心を束歛す、微細の條章、諸の猥弊を革む、毘尼の法席、曾て未だ叨りに陪せず、了義の上乗、豈に能く甄別せんや惜む可し、一生空しく過して後悔追ひ難きことを。教理未だ嘗て懐に措かず玄道契悟するに因無し、年高く臘長 ずるに至るに及んで、空腹高心肯て良朋に親附せず、惟だ倨傲のみを知る。未だ法律を諳ぜず、戢歛全く無し、或は大語高聲にして言を出すに度無し、上中下座敬せず、波羅門の聚會に殊なる無し、碗鉢聲を作し、食し畢て先ず起つ、去就乖角して僧體全く無し、起坐忪諸にして他の心念を動ず、些些の軌則、小小の威儀を存せず、何を將てか後毘を束歛せん、新學倣ひ傚ふに因無し、纔に相覺察すれば便ち言ふ我は是れ山僧にして未だ佛教の行持を聞かすと、一向に情に麤糙を存す。斯くの如きの見は 葢し初心たるとき慵惰饕餮して因循たり、 荏苒たる人間遂に疎野を成す。龍踵老朽することを學えず、事に觸れて面墻す、後學咨詢すれども接引するに言無し、縦ひ談説すること有るも典章に渉らず、 或は輕言せられば便ち後生の無禮を責め、嗔心忿起して言語人を該ぬ。一朝病に臥して牀に在れば衆苦縈纒逼迫す、暁夕思忖して心裏徊徨す、前路茫茫として未だ何にか往くを知らず玆れ從り始めて悔を過ゆるを知る、愒に臨んで井を掘るも奚か爲ん、自ら恨む早に預め修めず、年晩れて諸の過咎多きことを。行に臨んで揮霍して怕怖慞惶す、穀穿ち雀飛んで識心業に隨ふ、人の債を負ふが如く、強き者先ず牽く、心緒多端にして重處に偏墜す、無常の殺鬼、念念停らず、命延ばす可らず、時待つべからず、人天三有應に未だ之を免れざるべし、是の如く身を受くること、劫數を論ずるに非ず。感傷歎訝、哀い哉心を切む、豈に言を縬ぐべけんや、遞に相警策すべし、恨む所は同じく像季に生れ聖を去ること、時遥かに佛法生疎にして人多く懈怠す、略管見を申べて以て後來を曉す、若し蠲矜せずば誠に輪を逭れ難し。

第三章 出家の正因を明す
夫れ出家者は發足超方心形俗に異り聖種を紹隆し魔軍を震懾し用て四恩を報じ三有を抜濟すべし、若し此の如くならずんば濫に僧倫に厠るのみ。言行荒疎なれば慮りに信施に沾ふるのみ、昔年の行處、寸歩も移らず、恍惚として一生何を將て憑恃せん、况んや乃ち堂堂たる僧相容貌観る可し、皆是れ夙に善根を植えて斯の異報を感ず、便ち端然として手を拱かんと擬す、寸陰を貴ばず、時時勤めず、功果克よく就すに因みなし、豈に一生空しく過す可けんや、抑も亦た來業裨くる無し。親を辭し志を決っして緇を披す、意何所に等超せんと欲す、 暁夕思忖して豈に遷延して時を過す可けんや、心に佛法の棟梁を期し、用て後來の亀鏡と作るべし、常に以て此の如くなるも未だ小分の相應すること能はず。 言を出すには須く曲章に渉るべく、談説は乃ち稽古に傍るべし、形儀埏特して 意気高閑に遠行には要ず、良朋を假りて數數耳目を淸め、住止には必ず須く伴を擇び、時時に未聞を聞くべし、故に云ふ我を生む者は父母、我を成す者は朋友なりと。善者に親附すれば霧露の中に行くが如し、衣を濕さずと雖えども時時に潤ひ有り、悪者に狎習せば悪知見を長じ、暁夕悪を造り、即目報を交え、沒後に沈淪す、一たび人身を失へば萬劫にも復らず、忠言は耳に逆ふも豈に心に銘ぜざる者ならん哉、便ち能く心を澡ひ徳を育ひ跡を晦し名を韜くし素を蘊み神を精ずれば喧囂止絶す。

第四章 入道の由徑を示す
若し禅に参じ道を學し頓に方便の門を超え、心玄津に契ひ、幾を精要に研め、深奥を决澤し、眞源を啓悟せんと欲せば、愽く先知に問ひ、善友に親近すべし、 此宗、其妙を得難し、須く子細に用心すべし。可の中頓は正因を悟れば便ち是れ出塵の階漸、此れ則ち三界二十五有を破するなり、内外の諸法、盡く不實にして心從り變起して悉く是れ假名なりと知べし。心を將て湊泊することを用ひざれ、但だ情物に附せずんば物豈に人を礙んや、他の法性の周流に任せて、斷つこと莫く續ぐこと莫れ、聞聲見色、蓋し是れ尋常這邊那邊應用闕ず。斯の如くの行止、實に抂げて法服を被せず、亦た乃ち四恩を酬報し、三有を拔濟し、生生若し能く退かずんば佛階決定して期すべし、三界に往來するの賓出沒して他の爲めに則と作るべし、此の一學、最妙最玄、但だ肯心を辨ぜよ、必ず相ひ賺さず。若し中流の士有りて、未だ頓に超ゆる能はずんば且く教法に於て心を留め、貝葉を恩尋し、義理を精搜し、傅唱敷揚し、後來を接引し、佛の恩に報ぜん、時光亦た虚しく棄てず、必ず須く此を以て扶持すべし、佳止威儀あり、便ち是れ僧中の法器なり。豈に見ずや松に倚るの葛は上千尋に聳ゆ、勝因に託附して方に能く廣益す。懇に齋戒を脩め、謾に虧踰すること莫れ、世世生生殊妙の因果あり、等閑に日を過ごし兀兀として時を度る可からず、光陰惜む可し、升進を求めずんば徒に十方の信施を消す、亦た乃ち四恩に辜負す、積累轉た深く心塵壅り易し、途に觸れて滯を成し、人に輕欺せらる、古に云く彼れ既に丈夫、我れ亦た爾り、應に自ら輕じて退屈すべからず、若し此の如くならずして 徒に緇門に在らば荏苒として一生殊に益する所無し。

第五章 結勤叮嚀
伏して望らくは決烈の志を興し、徳達の懐を開き、擧措他の上流を看るべし、 檀に庸鄙に隨ふこと莫れ、今生に便ち須く決斷すべし、想ひ料るに別人に由らず、意を息め縁を亡じて諸塵と對を作さざれ、心空に境寂なり、只だ久遰の爲に通ぜず、斯の文を熟覧して時時に警策せよ。強めて主宰と作れ、人情に狥ふ莫れ、業果の牽く所、誠に逃避し難し、聲和すれば響順ひ、形直れば影端しく、因果歴然たり、豈に憂懼無からんや、故に經に云く、假使百千劫も造る所の業は亡ぜず、因縁會遇の時、果報還て自ら受く、故に知る三界の刑罰縈絆して人 を殺す、努力勤脩せよ、空しく日を過ごす莫れ。 深く過患を知て方に乃ち相ひ勸めて行持せしむ、願くは百劫千生處處に同じく法侶と爲らん。


幻身夢宅は空中の物色なり前際窮り無く、後際寧ぞ剋せん。
此に出て彼に沒して、升沈疲極す、未だ三輪を免れずんば何の時か休息せん。
世間を貪戀して陰縁質を成す、生より死に至るまで一も所得無なし。
根本無明玆れに因て惑はさる、光陰惜むべし刹那測られず。
今生空しく過さば來世窒塞す、迷從り迷を積むことは皆六賊に由る。
六道に往還し三界に匍匐す、早く明師を訪ひ高徳に親近すべし。
身心を決擇し其の荊棘を去るべし、世自ら浮虚なり、衆縁豈に逼らんや。
法理を研窮して悟りを以て則と爲す、心境倶に捐て記する莫れ憶する莫れ。
六根怡然として行住寂默なり、一心生ぜざれば萬法倶に息む。
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